動物たちに、人間と同じような、目的や意図のある「知恵」はあるのか?
Shettleworth, Sara J. Cognition, evolution, and behavior.
ISBN 978-0-19-531984-2
この本もまた、昔に、(普通に私たちが私たち自身の心そのものだと思っている)人間の意識的思考とは、本当は何なのか?という問題を調べていた時に出会った本です。
人間以外の動物たちにも、人間と同じような「知恵」(意識的な、意図や目的のある、そして順序立てて考えを組み立ていく能力)はあるのか?
結論としては、人間以外には(あるいは、人間にかなり近いサルたち以外は)、一見するとかなり高い「知恵」「知能」があるように見えても、それは人間と同じような「知恵」ではなく、人間のように(あるいは人間にかなり近いサルたちのように)意図・目的のある、スタートがあってゴールがある、意識的な考えを順序立てて組み立てていくことは、たぶんできないのです。
スタートがあってゴールがある、直線的に順序立てて進む思考は、おそらくは、大きく発達した前頭葉を使って運動・行動プログラミングを自在につくることができる(そして、同じように行動している相手がどのような運動・行動プログラミングによって動こうとしているのかという「意図」を読み取ることもできる)人間と、人間に近いサルたちにしかできないことなのでしょう。
この手の、動物行動学 ethologyの分野では、よく取り上げられる「トゲウオの求愛行動」があります。
トゲウオはオスが縄張りを持ち、その縄張りの中に、まだ見ぬ配偶者のための産卵用の巣までつくります。
そこにメスではなく、オスが入ってくると(メスはお腹が卵いっぱいで膨らんでおり、オスは赤い印があるので、オスメスの区別は容易につくのです)、トゲウオのオスは攻撃して自分の縄張りから追い出します。
メスが入ってくると、オスは求愛行動を開始し、メスがそれに応じてくれれば、いくつかの手順を経て、最終的には産卵・放精にゴールインします。
これを私たち人間目線で見ると、どうしてもそこに「意図」や「気持ち」を読み取ってしまいます。
オスが入ってくると、邪魔者だから、追い出そうと「意図」して攻撃する。
メスが入ってくると、気に入った時は、アピールしようと「意図」して求愛ダンスを踊る。
メスも、そのオスが気にいると、気に入ったことを知らせようと「意図」して、ついていく。
…という具合です。
でも、実際にはそんなことは全くないのです、残念なことに。
これは動物行動学の分野では「リリーサー releaser」と「決まりきった行動パターン fixed action pattern」と呼ばれている、ただの刺激・反応系の連鎖反応が起こっているだけなのです。
自分の縄張りの中にお腹の赤いものが入ってくると、それが刺激(リリーサー)となって、そのお腹の赤いものを攻撃するという反応(決まりきった行動パターン)がプログラムに従って発動する。
逆に、お腹の赤くない、お腹の大きなものが入ってくると、それが刺激(リリーサー)となって、オスは求愛ダンスを踊るという反応(決まりきった行動パターン)が発動する。
すると、メスにとっては、これが刺激(リリーサー)となって、…という連鎖です。
ただの連鎖反応であって、そこには「意図」もなければ「気持ち」もない。
もう一つ、よく引き合いに出される動物の行動として、「カモメが巣から転がり出た卵を嘴を使って巣に戻す」というものがあります。
これも、私たち人間目線でみると、どうしてもそこに「気持ち」や「意図」を読み取ってしまいます。
大事にしていた子ども(卵)が巣から転がり出てしまったので、これはいけないと、巣に戻すことを「意図」して、親鳥は嘴を使って巣に戻す、と。
でも、本当は、これもただの刺激に対する反応。「リリーサー」と「決まりきった行動パターン」でしかありません。
巣の外側にある、なんか卵っぽい形のものがあると、それが刺激(リリーサー)になってプログラムが発動し、親鳥はこの行動を「決まりきった行動パターン」として、やってしまうのです。
実際、カモメは刺激に対して反応しているだけで、そこには「気持ち」もなければ「意図」もないので、本物の卵のよこに、刺激としてはより強い「より大きな卵っぽいもの」を置いておくと、カモメは自分の卵などほったらかしにして、「より大きな卵っぽいもの」に対して「決まりきった行動パターン」を発動してしまうのでした。
目的・意図がある思考と行動。意識的思考なんてものは、人間にくらいしかない、ちょっとかわった性質なのでしょう。
蛍の世界のファムファタール
Thomas E, et al. Firefly ‘‘femmes fatales’’ acquire defensive steroids (lucibufagins) from their firefly prey.
Proc. Natl. Acad. Sci. USA, Vol. 94, pp. 9723–9728, September 1997
人間以外の動物たちのコミュニケーションについて調べていた時に、ある種の蛍たちの驚くべき行動を知りました。
蛍のオスたちは求愛行動として、夜中に光って飛んで見せます。
その光かたとか飛び方が気にいると、その種類の蛍のメスは、その種類に独特な間隔をあけて光返してくれます。
それを受けたオスは、その光返してくれたメスに向かっていき、カップル成立、というわけです。
ところが、今回ここに取り上げるPhoturisという種類の蛍のメスは、同じ蛍ではあるけれども違う種類であるPhotinusのメスのふりをして、求愛行動をしているPhotinusのオスに光返してあげてしまうのです。
それを受けて、Photinusのオスが喜んで飛んでいくと、Photurisのメスはまんまとそのオスを捕まえて食べてしまう…。
しかも、捕食されたPhotinusのオスは普通の意味での栄養源になるだけでなく、この種類の蛍が作り出している「食べても美味しくない成分」を自分の中に取り入れることによって、クモなどの天敵から身を守るようにもなるといいます。
なんとも、すごい蛍がいたもんです。
そして、どちらの蛍も、生き残りに必死なんですね。
男と女の軍拡競争
Martie G. Haselton & Steven W. Gangestad. Conditional expression of women's desires and men's mate guarding across the ovulatory cycle. Hormones and Behavior 49 (2006) 509–518.
進化の軍拡競争 evolutionary arm raceという言葉があります。
進化とは、基本的に、自分の遺伝子の存続のために自分の遺伝子そのものが変化していくことです。(というか、遺伝子はただの物質ですから「存続のために」などという目的は持っていません。実際には、自分の遺伝子そのものが変化したことが、たまたま偶然、その遺伝子の存続に好都合であり、結果としてその遺伝子が存続できた、という方が正しいのです。ですが、私たち人間にとっては「〜のために」「〜しようとして」と表現した方がわかりやすいので、そう書きます。)
生き物はみな自分の遺伝子をより高い確率で次世代に残そうと競争しあっています。
ある生き物がその競争のために進化する。すると、それと競争関係にある生き物も対抗策を進化させる。すると、それに対してさらに…というように果てしない競争が続きます。これを「進化の軍拡競争」と言います。
配偶者選択 mate choiceも、基本的には自分の遺伝子をより高い確率で、より効率的に、次世代に残そうとしてやっているものです。
私たち人間において、配偶者選択の条件は、女性が男性を選ぶ基準も、男性が女性を選ぶ基準も、これまでの研究からだいたいわかってきています。
そして、親投資 parent investmentの男女差の問題(子づくり・子育てに関しては、男性よりも女性の方が圧倒的に自分の時間・労力を注ぎ込むことになるという男女差)のために、男性が女性を選ぶよりも、女性が男性を選ぶ方が圧倒的に真剣であり、圧倒的に条件が多岐に渡りしかも厳しいものであって当然です。
実際、男性が女性を選ぶ基準は、(1)優良な遺伝子を持っている証としての美人であることと、(2)頭の良い子どもをたくさん産めそうな証である、胸が大きく腰がくびれておりお尻が大きいこと、くらいしか見当たりません。
それに対して、女性が男性を選ぶ基準は、これまでにわかっているだけでも、(1)優良な遺伝子を持っている証として顔や体が左右対称の整った外見をしていること、(2)長期間にわたって栄養状態・健康状態を良好に維持できてきた証として男性ホルモンが十分に分泌されており、男らしい顔つき・体つきをしていること、(3)自分とは遺伝子的に離れており、組織適合性複合体 MHCが大きく違うことの証として、好ましい匂いがすること、(4)知能が高く、体力的にも優れており、人望もあり、こうして社会経済的水準が高いこと、(5)自分や子どもに対して優しく誠実でありそうなこと、…などがあります。
ちょっと条件が多すぎ、厳しすぎな気がします。
実際、これだけの条件をすべてクリアする男性なんて一握りしかいないでしょう。
となると、人間の場合は男女比がほぼ1:1なので、条件を全然クリアできていない残念な男性を不本意ながら配偶者とする女性もでてくるわけです。不本意ではありますが、生きていくために、生活のために、しかたない選択です。
しかし、これでは自分の遺伝子をより高い確率で存続させるには不利になります。
これに対して、原始時代の女性たちが見出したミラクルな解決法は、「浮気 extra-pair couplation」だったわけです。
普段は、生活のためにさえない男性と一緒にいるけれども、時々浮気をしては優良な遺伝子を持った優良な男性の精子を取り込みにいくのです。遺伝子の存続に有利な子どもをつくるためです。
もちろん、配偶者の男性としては、そんなこと許していたら、自分の遺伝子が存続できません。
そこで、「嫉妬」という感情が獲得されます。特に、男性の嫉妬は配偶者である女性そのものに攻撃性が向くようにできているので、浮気がばれた女性は、あっという間に男性に攻撃され、追い出されてしまいます。
これに対する対抗策として、女性の浮気は排卵日前に、ピンポイントで行うようになりました。
すると、これに対する男性の対抗策として、排卵日前にはより強く束縛的な行動をとるようになりました。
…という女性の排卵日前後の心理状態、行動パターンの変化と、それに対抗する男性の行動パターンの変化が、現代の男女にも確かに存在した、というのが今回のこの論文です。
論文にある実験では、38名の若い女性たち(一人者も彼氏のいる者も含まれている)を対象に、毎日の心理状態・行動の記録をつけてもらい、それが月経周期によってどう変化するかを見てみたものです。
結果として、
◯排卵日前になると、女性は自分自身のことを性的により魅力的だと感じるようになり、異性と出会う可能性のある行動により出るようになる。
◯彼氏のいる女性は排卵日前になるとより浮気を願望するようになる。それと同時に、彼氏からの束縛をより感じるようになる。
◯魅力の低い女性の場合は、彼氏による束縛行動は排卵日前に強まる傾向があるが、魅力の高い女性の場合は、彼氏による束縛は月経周期に無関係にいつも強い。
…となっていました。
ところで、遺伝子の存続をかけた男と女の軍拡競争は、この後もまだまだ続きます。
わかっているところでは、女性のオルガスムがあります。
女性は、遺伝子的に好ましい相手とセックスするときにはオルガスムに達しやすくなり、これによって男性からの精子をより効率的に取り込むことができるようになっていると見られています。
逆にいうと、遺伝子的に好ましくない、さえない配偶者の男性の精子は、女性がオルガスムに達しないことによって比較的受け付けなくできるわけです。
これでは、男性の側は遺伝子の存続の危機になりますから、なんとかして頑張って女性をオルガスムに達しさせようとするわけです。
それに対抗して、女性の方は本当はオルガスムに達してなどいないのに、達したふりをするようになります。
…軍拡競争はきりがありません。
原始人の頃から、人は音楽が好きだった
Schulkin J & and Raglan G. The evolution of music and human social capability.
doi: 10.3389/fnins.2014.00292
この論文はなんだったか…。
一時期、人間の持つ特徴的な「意識的思考」とか「言語」とは、本当はいったい何なのか? ということを調べていたときに、おそらく人類の進化のプロセスにおいて、「言語」よりも少し早く「音楽」の能力を人類は獲得したのだろう…という説に辿り着きました。
今の人類にもその名残のようなものは残されていますが、「音楽」の能力を獲得しはじめた頃の人類の祖先にとって、「音楽」は仲間とのつながりを確認する、感情を表現し共有する、とても重要な手段だったのだろうと思われるのです。
(その名残として、今の私たちも、一緒に歌って踊ったりすると、なぜか不思議と集団の結束力が高まり、相互的な協力性が増すことが実験的に知られています。)
この論文に出てくる写真がちょっと面白い。
なんと4万年くらい前のものと思われる、動物の骨を使った笛。
そもそも、なんで動物の骨で笛を作ろうとしたのだろう? と想像すると妙にオカシイです。
きっと、当時のお腹を空かした原始人たちは、骨の骨髄にある脂肪組織なんかを、なんとかして掘り出して、吸い出して、食べていたのでしょう。掘り出すために、穴をあける。
そのうち、それを吸ったり吹いたりしているうちに、「あれ? 音が鳴る!」という具合だったのか?
そして、こちらは割と有名な「リソフォン」
石を並べて作った打楽器(木琴、鉄琴みたいなものでしょう)。
これもきっと、当時の原始人たちが石器を作ろうとカンコン叩いているうちに、「あれ? 石の大きさによって音が違うぞ?」という感じだったのか?
ハープやギターといった弦楽器も同様に、狩猟に使う弓をビンっと弾いてみると、「あれ? 良い音がする。弓の長さ、弦の長さによって、音が違うぞ?」という感じだったのか?
そんな想像は論文には一つも出てこないのですが、イメージしてみると、なかなか楽しいです。
いずれにしろ、人類にとって、音楽は原始時代の昔から、人々をつなぐ道具だった、という話でした。
ここ30年くらいで男性の性器は本当に大きくなったのか?
Federico Belladelli. et al. Worldwide Temporal Trends in Penile Length: A Systematic Review and Meta-Analysis.
https://doi.org/10.5534/wjmh.220203
World J Mens Health Published online Feb 15, 2023
これはまた極端にどうでもよく、激しくツッコミどころのある論文です。
だいたい、論文の始まりからしてこうです:
『男性の性機能障害の診断や治療は日常的になってきており、陰茎の大きさは重要であり続けている』
…って、何がどう重要なのかさっぱりわからないです。
いずれにしろ、この論文では過去に発表された陰茎の大きさ関係の研究報告をまとめて、はたして過去30年の間に、トレンドとして男性の陰茎が大きくなっているのかどうかを調べてみたのだと言います。
結果、筆者らは『過去約30年間で、世界中において男性の勃起時の陰茎の長さは長くなっている。これは重要な意味があるかも知れず、その原因究明がなされるべきである』などと言っているのですが、ここでもまた、なんでだよ、どう重要な意味があるんだよ、と言いたくもなります。
より詳しくデータを見てみると、勃起時の陰茎の長さは1992年の平均12.27cmから2021年の平均15.23cmへ「24%も長くなっている」ということになっています。その理由について、体格が良くなったからじゃないかとか、環境ホルモンのせいじゃないかとか、なんかいろいろ良い加減なスペキュレーションをしているのですが…。
よくよくデータを見ると、しかし、この手の研究では「勃起時の長さ」の近似として使われることの多い「引っ張った時の長さ」は、この約30年の間、ほとんど変わらないのです。
ということは、これはいったいどういうこと?
普通に考えれば、薬剤を使って人工的に勃起させる技術が進歩しただけでしょう。
結果として、計測するときによりしっかりと勃起するようになり、より「長く」計測されるようになった、と考える方が普通じゃないでしょうか。
まあ、極端にどうでもいい話なので、どうでも良いのですが。
男の旅
Wells S. The Journey of Man: A Genetic Odyssey.
ASIN : B009MYAOQU
出版社 : Random House (2012/10/31)
題名を無理に日本語にしようとすると「男の旅」
…なんか、本宮ひろ志の漫画でしょうか、という感じになってしまいます。
実は、人類がアフリカの真ん中あたりで発祥してから、どのように世界中に散らばっていったのかを、男性のY遺伝子の変異を追跡することで、調べてみた結果の本です。
これまで、ミトコンドリア遺伝子の変異を追跡することで、ミトコンドリアは女性の卵によってしか次世代に引き継がれないことから、母→娘への女系の人類発祥からの道のりは示されていました。当時としては驚いたことに、全人類はすべて約15万年まえのアフリカの真ん中あたりに生きていたであろう、たった一人の女性を先祖にしている、という結果を示したのです。(これは「アフリカのイヴ」として有名になりました。)
では、男性はどうなのか?
ちょうど良いことに、男性の性を決定しているY遺伝子は、父親→息子にしか引き継がれませんから、この遺伝子の変異を追跡すれば、人類発祥から今に至るまでの、今度は男系の道のりが示せるはずです。
その結果をまとめたのが本書だったわけです。
その驚きの結果は、全人類はすべて約5万年まえのアフリカの真ん中あたりに生きていたであろう、たった一人の男性「アフリカのアダム」の子孫であることだったのです。
うん? イブが15万年まえで、アダムが5万年前?
イブはなんと10万年以上もアダムを待っていた?
で、「おせーよ!! いったい何万年待ったと思ってんだよ!」とアダムに言い放った?
そんなわけはないわけです。つまり、イブと同じ15万年前に生きていた男性達のうち、5万年前に登場した「アダム」以外の男性達は皆、遺伝子を現代まで残せなかったということです。
女性にくらべて、男性ははるかに遺伝子を残しにくい…。
その一例として、非常にショッキングな出来事が、本書にも描かれていました。
Y遺伝子の変異を解析してわかった大昔の出来事はこうです。
アフリカの真ん中あたりで発祥した人類は、ある時期から、その一部がアフリカを出ようとします。
第一陣は東アフリカから中東付近を経由して、インド、東南アジア、オセアニア…というように、ずっと海岸沿いを進みました。これを仮に「ナギサ人」と呼びます。
そして第二陣は、海沿いではなく、内陸を進みました。これを仮に「ナイリク人」と呼びます。
悲劇はインドで起こります。
この地域には、すでに「ナギサ人」が先に来て暮らしていました。
ところが、その北側の内陸を進んでいた「ナイリク人」は行く手を山脈に阻まれ、仕方ないので南下してきて、ちょうど「ナギサ人」が住んでいるところにやってきました。
そのあとで、何が起こったのかは、わかりません。
ただ、結果として、「ナギサ人」の女性の遺伝子は生き残っているものの、男性の遺伝子は消滅してしまい、「ナイリク人」の男性の遺伝子に置き換わっていました。
女性は生き残り、男性は死に絶えた。
一体何が起こったのかは、推測しかできませんが、いくつかの可能性があるでしょう。
(1)「ナギサ人」と「ナイリク人」との間で戦争があり、(農耕という)圧倒的な文明力と経済力を持つ「ナイリク人」が「狩猟・採取生活」をしていたであろう文明力の低い「ナギサ人」の男性を皆殺しにした。
…ちょっと考えにくいです。いくら古代人でも、いくら文明力の差がものすごくあっても、さすがに皆殺しをするのは大変すぎます。
(2)「ナイリク人」が「ナギサ人」を皆殺しにはしなくても、全員を奴隷にした。
…これもちょっと考えにくいです。一部を連れ去って奴隷にするならあり得るでしょうが、全員を奴隷にするのは無理がありすぎです。
(3)「ナイリク人」と「ナギサ人」は同じ地域に住むようになったが、文明力が圧倒的に高く、経済力が圧倒的に高い「ナイリク人」の男性は「ナギサ人」の女性にもモテてしまい、逆に文明力が低く貧乏な「ナギサ人」の男性はさっぱりモテなくなってしまい、結果として、長い時間をかけて絶滅していった。
…これが一番ありうる気がします。なにしろ、古代人の頃から人類の女性はお金持ちの男性が好きですから。
いずれにしろ、遺伝子継承の観点からすると、女性は生き残ることが容易でも、男性は生き残ることが難しい、ということです。
脳はなぜ世界の反対側を支配するのか?
T.S. Keith. Mauthner cells. Current Biology Vol 19 No 9 R353
我ながら、変な論文を読んでます。だいたい、Mauthner細胞って何?という感じです。
実は、「脳はなぜ世界の反対側を支配するのか?」という疑問を考えていたときに辿り着いたものでした。
一体どういうことか?
私たち人間の脳、特に大脳皮質は左右の脳半球に分かれています。そして、右脳、左脳はそれぞれ世界の反対側を支配しています。
右脳は左手、左足、体の左側、そして視野の左側。
左脳は右手、右足、体の右側、そして視野の右側。
これは、運動においても、感覚においても、そうなっています。
どういう構造になっているかというと、まずは運動ですが…
このように、大脳皮質からの命令は脊髄を下るちょっと前に、反対側に交差します。そして、脊髄の反対側にある運動神経に命令を送り、反対側にある体の筋肉を動かすわけです。
感覚については…
体からやってきた感覚は脊髄の後ろ側から脊髄に入り、感覚の種類によってすぐに反対側に行ったり、少し上に行ってから反対側に行ったりしますが、いずれにしろ、最終的には反対側に交差してから、視床を経由して、大脳皮質に行くことになります。
図には示しませんが、視覚情報も同じです。右目で見たものも、左目で見たものも、視野の右側は左脳の後頭葉に行き、視野の左側は右脳の後頭葉に行きます。
一体、なぜ、そんな面倒くさいことをするのか?
なぜ、わざわざ交差するのか?
そこにどんな理由があるのか?
こうした生き物の「なぜ?」「どんな理由が?」という疑問は、たいてい進化論的な理由があるはずです。
となれば、脳と脊髄をもつ脊椎動物の中でも、より単純な構造をしている魚の体を調べた方がわかりやすいに決まっています。
そう思ってあれこれ調べているうちに辿り着いたのが、このMauthner細胞。
これは金魚の稚魚ですね。金魚に限らず、魚の稚魚はだいたい同じような構造をしていると思います。
この稚魚には、脳のあたりにMauthner細胞というものがあって、これが外界からの危険を受け取ると、その信号を反対側に交差してから脊髄を下降させ、反対側の筋肉を支配する運動神経に命令し、筋肉を収縮させ、結果として「Cの字」のに体をくねらせる原始的な回避行動を行います。
突然にやってくる外界からの危険に対して、非常にすばやく回避行動ができるために、進化論的な生存への有利性は高く、このメカニズムは魚類だけでなく、その後の進化にも引き継がれていった…というわけです。
結果として、その後進化を続けた脳でも、左右の脳は、体の反対側を支配するようになった、というわけです。
(体の反対側を支配するためには、視野の反対側も支配しなくてはいけないので、左右の脳半球が視野の反対側を支配するのも、まあまあ当たり前なのです。)