遺伝子的には日本人と韓国人はほとんど同じだけど、日本人は少し縄文人の血が入っている。

The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations.

Journal of Human Genetics (2012) 57, 787–795; doi:10.1038/jhg.2012.114; published online 8 November 2012

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現代に生きる人々の遺伝子を解析して、その祖先がどんな風に移住したり、混血したりしたのかを調べることができます。

 

上記の論文では、日本人の遺伝子を解析してみた結果、どうやら、今の日本人(本土人)は、日本にもともと住んでいた原住民である縄文人と、途中から朝鮮半島から移住してきた朝鮮半島人(=弥生人)とが混血してできた人たちが中心だろうと見ています。

一方で、あまり混血しなかった人たちもいます。その人たちは、北と南に分かれて、それぞれアイヌ人と琉球人になった、というわけです。

 

いったい何が起こったのか?

 

普通に考えればこういうことです。

 

第一段階は、日本に縄文人が住み着くところです。

縄文人は、基本的に狩猟採取民族でしたでしょうから、文化的・科学的・経済的には弱いものでした。

 

第二段階として、そこに朝鮮半島から、より文化的・科学的・経済的に強い、農耕民族の弥生人たちが入ってきます。(より正確には、朝鮮半島から移住してきた人たちが、割とすぐに原住民である縄文人と混血し、「弥生人」と呼ばれるようになった、というところでしょう。)

おそらく、日本が離小島だったこともあって、朝鮮半島からの移住者は圧倒的な武力や経済力で原住民である縄文人を攻め滅ぼしてしまうほどの勢力は持たずに、少しずつ移住し、少しずつ混血し、それなりに仲良く協力的に暮らしていたのでしょう。

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ところが、この「弥生人」がどんどん縄文人と混血して、いわゆる「日本人(本土人)」となり主流派になってくると、彼らは原住民である縄文人を北と南に駆逐するようになります。(おそらく、北と南に駆逐しきれず、取りこぼしのような地域もあったと思われ、それがのちに「部落」になっていったのでしょう。)

北に逃れた縄文人たちはオホーツク人たちとさらに混血して、アイヌ人になりました。

南に逃れた縄文人たちは主流派の人たちと混血しながら、琉球人になりました。

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…というわけです。

どうりで、縄文のあのコテコテした派手な装飾がアイヌ琉球に見られたり、北海道と沖縄という両端にありながら、どこかアイヌ人と琉球人は顔つきが似ているわけです。